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第120回 ようこそ学長室へ
~ 優しさに秘めたる生き抜く力 ~

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新元さんと

 梅雨明けが待ち遠しく感じる今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。今回のお客様は、本年4月に中津川キャンパスメディアセンター職員として着任された、新元雅之さんです。神戸市のご出身で、民間企業に就職後、高校教員を目指そうとしていた矢先に阪神淡路大震災(1995年1月17日)が発生し、被災者としての経験もお持ちの新元さんに、本学着任までの経緯などを伺いました。
 まず、震災について伺うと「住んでいた長屋は全壊で、気が付くと枕に壁が突き刺さっていました。周囲は瓦礫の山で『これからどうしよう』というのが率直な気持ちでした」と。それでも「地元は離れたくなかったので、家族そろって公園でテント生活を始め、8月にやっと仮設住宅に入居できました」との事。九死に一生を得る壮絶な体験をされていたと知りました。
 その後、高校教員を目指して大学に入り、30歳で商業の免許を取得して母校の教員に。さらに私立高校に異動して16年間お勤めになったとの事。教員を目指した動機を尋ねると「19、20歳の頃、母校の野球部の練習を手伝い憧れるようになりました」と。神戸を離れる際には「教え子が有志で送別会を開いてくれました」と笑顔で話されていました。
 本学の印象を尋ねると「体育会系の子が多くて距離感があります。中には声を掛けてくれる学生もいて、実際に話すと意外と面白い」と。また、中津川市の印象については「景色がいいし、近くには清流もありとても気に入っています」との事でした。
 日頃から大切にしている事は「損得だけで物事を考えずに、気持ちや心を大切にすることです」と。この考えは「震災時、最初は『命があっただけでも良かった』と話していた人たちが、落ち着いてくると、差し入れのおにぎりの具や、寝具の良し悪しに注文を付ける様子をみて意識するようになりました」との事。最後に今後の抱負を尋ねると「具体的に何かこれって言うよりも、少しでも皆さんのお役に立ちたい」との事でした。
 今回の取材やこれまで新元さんと接して、笑顔と相手を包み込むような声がとても印象に残っています。「声は喉で作るのではなく表情で作る」と書中にもあり、笑顔で発せられた言葉は誰にでも安心感を与えてくれます。辛い経験を乗り越えることで培われた深みのある温かさで、これからも学生達を見守って下さい。#学術

取材後記:学生にとってどんな存在でありたいのか?先生でもなく、オトンでもなく、近所のおっさんでもなく、絶妙な立ち位置で変幻自在にやらしてもうてますぅ。(いまづ)

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